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170513_3代目が考案、家族を困惑させた「切腹最中」が1日4000個超売れる人気商品に_アイデア未来塾_002_01

出典:https://thepage.jp/tokyo/detail/20170418-00000006-wordleaf

新正堂の店頭。平日だというのに列ができていた(撮影:たなかみえ)

JR新橋駅烏森口から左へ進んだ新橋4丁目交差点から、虎の門の新たなランドマーク「虎の門ヒルズ」を結ぶ新虎通り(通称、マッカーサー道路)に面して、御菓子司「新正堂(しんしょうどう)」はある。平日だというのに、店の前には会社員らしき人たちの列ができている。目当ては、謝罪のときに持参するのにぴったりと、さまざまなメディアで取り上げられている「切腹最中(せっぷくもなか)」だ。

異業種から和菓子屋の跡継ぎに

新正堂は大正元年創業。大正12年の店の写真が店内に飾られていた(撮影:たなかみえ)

今でこそ、東京の名店として知られる「新正堂」だが、現社長で3 代目の渡辺仁久さんがこの店を継ぐ決心をしたのは、今から約30年前。当時、兄と共に父が経営していた名古屋の印刷会社を受け継ぎ、仕事も生活も安定し始めた頃だった。

妻の則子さんから、実家の新生堂が廃業するという話を聞き、東京に駆けつけた。その時、2代目から「菓子屋をやらないか」と持ちかけられたそうだ。

 「私は三男だったので、懇願されたら“やらない”とは言えなかった」と渡辺さんは当時を思い返す。和菓子に関して、全くの素人だった渡辺さんは、昼間は新正堂で働きながら、夜間は製菓学校で和菓子と洋菓子の基礎を学んだ。その頃、新正堂の人気商品は豆大福だった。他店がこしあんならばと、売り出したつぶあんの豆大福は、新正堂の看板商品だったという。

「切腹最中」という商品名に家族は猛反対

皮からはみ出すほどのたっぷり粒餡に求肥入り「切腹最中」(撮影:たなかみえ)

渡辺さんが新正堂を継いでしばらくすると2代目が他界。

「今度は自分でヒット商品を作りたい」と意気込んで考案したのがこの「切腹最中」だ。実は、現在の場所に移転する前に新正堂があったのは、忠臣蔵でおなじみの田村屋敷の跡地。まさに浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹した場所だったのだ。そこからひらめいたのが、忠臣蔵にちなんだ名前で、お土産に最適な日持ちのする最中だった。

「切腹最中」のこだわりの餡。純度の高い砂糖を使用している(撮影:たなかみえ)

しかし、病院の見舞客が立ち寄ることも多いため、「切腹とは何事か」とこの奇抜な商品名に家族は猛反対した。それでもあきらめきれなかった渡辺さんは119人にモニター調査を実施した。最中を食べてもらって、味、形、商品名などについての意見を聞いたのだ。その結果、1人を除いた118人が、この商品名には違和感を示した。

「唯一、名前に興味を示しくれた人のことは今でも忘れられない」と渡辺さんは笑う。

 モニター結果はさんざんだったが結局、家族の反対を押し切って「切腹最中」を売り出した。今では何千、何万の人が、この商品名と味に魅かれて、日本中から買い求めにやって来る。渡辺さんの斬新なアイデアにようやく時代が追いついたということだろうか。

約30年で和菓子屋の数は1/3に

渡辺さんが新正堂を継いだ当初は、近隣の企業や結婚式場からのお菓子の注文が多かったという。しかし、やがて大きな製菓会社チェーン進出や通信販売が普及すると、売り上げは落ちる一方だった。

「当時、46軒の和菓子屋が近隣の組合に所属していましたが、後継者が見つからないという理由で廃業し、今では12軒しか残っていないんです」

家族が一丸となって「新正堂」ののれんを繋いでいる(撮影:たなかみえ)

3代目、渡辺さんは伝統を大切にしながらも、ときには変革を恐れずに「切腹最中」のほかにも、次々とヒット商品を生み出してきた。「景気上昇最中」「出世の石段」「義士ようかん」など、忠臣蔵など歴史やビジネスにちなんだ商品名で工夫を凝らしている。1日80個か100個売れたらヒット商品といわれる和菓子だが、取材日に作られた「切腹最中」の数は4400個だった。

次の世代へ「新正堂」を繋いでいく

3代目の背中を見て育った長男の仁司さんは新正堂の4代目になることを決意し、高校卒業後、別の和菓子屋で修行した。それから10年、今は専務として、新正堂のお菓子の製造を一手に引き受ける。売れ筋商品をはじめ、どら焼きや大福などの材料の配合を変えるなどのマイナーチェンジを重ねながら、着実に売上げを伸ばしているという。

3代目渡辺仁久(右)さんと4代目仁司(左)さん(撮影:たなかみえ)

話し上手な3代目に比べると、どちらかといえば寡黙な印象の4代目、仁司さん。

「父のように弁は立たちませんが、私が作ったお菓子でお客様に納得していただけたらいいですね」と話す。その腕前は、毎年、和菓子の日である6月16日に執り行われる東京・日枝神社の山王嘉祥祭りで、煉切奉納を行う全国和菓子協会の代表に選ばれるほど。若き和菓子職人としての期待も大きい。

工場で作業する4代目仁司さん(撮影:たなかみえ)

実は、3代目は長男の仁司さんに「家業を継いでくれ」と口にしたことはなかったという。だからこそ、

「同業者に後継者がいなくて次々と廃業していく様子を見ていたので、新正堂を継ぐと言ってくれたときは本当にうれしかった」と顔をほころばせる。

そして、「初代から義父である2代目、そして3代目の私が繋いできたように、4代目の息子にもその先に『新正堂』を繋いでいって欲しいですね」と話す。その姿を横目で見ながら、「直接、父の思いを聞いたのは初めて」と仁司さんは大きく頷いた。すでに4代目には、次の世代を担う商品の構想があるようだ。

(取材・文・写真 / たなかみえ)

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