古家電を回収業者(買い子)から買い取り、輸出販売を行なうリユース事業の浜屋(本社・埼玉県東松山市)。

1991年にたった5人で始めた会社が、今や世界30ヵ国を相手に年間100億円を稼ぎ出す業界随一の企業になりえたのは、ひとつに「人に喜んでもらうために仕事をする」という小林茂社長の信念がブレないからだ(第1回記事『リユース業界随一の浜屋はなぜ社員が気持ちのいい挨拶をするのか?』参照)。

「買い子さんに喜んでほしい」から、彼らが回収した不要品をどこよりも高く買い取る。「海外の消費者に喜んでほしい」から、他社よりも良質な中古家電を輸出販売する。その信用力こそ浜屋の売上げを押し上げる原動力となっている(第2回記事『出所者も採用するリユース業界の雄、浜屋の“個を活かす”経営術』参照)。

もちろん、このブレない信念は社員にも向けられている。例えば、小林社長は現場にフラリと現れては「誰かメシでも食べに行く?」と社員を誘う時がある。社長との距離の近さ――ここに魅かれる社員は少なくない。

また、従業員は原則、正社員として雇っている。残業は月30時間前後。なぜ30時間かというと、社員の定時は17時半だが、その時刻ギリギリにやってくる買い子もいるためだ。

そこから仕分けや支払いなどの作業をすれば、どうしても1時間くらいは取られる。実質的には残業とはいえないのかもしれない。極力、残業をさせないようにしているのは、体力を使う仕事だけに長時間労働が事故につながる可能性もあるし、自分自身の自由な時間も有してほしいからだ。

だが、この社長の思いとは裏腹に数年前、関東の某支店で「とんでもない残業」が発覚した。支店長は人が少ないことにひと言も文句を言わず、会社のために一所懸命に働き、残業時間は100時間を超えていた。これを知ると、普段は温厚な小林社長がその支店長をどやしつけた。

「バカヤロー! こんな無茶な残業をして! もう一度やってみろ。おまえにもう働く場所はないぞ!」

だが、この一件は社長がいかに社員を大切に思っているかを知らしめることにもなった。以後、長時間残業は浜屋から消えた。

ボーナスは夏冬合計で年4ヵ月分以上の支給を基準としているが、ある年、買い取り価格を統制しきれずに高く買いすぎてしまった結果、必要な粗利を確保できず、利益が大幅に落ちてしまったことがある。その結果、冬のボーナスが2割カットとなり、役員も報酬を30%以上カットした。

これは社員のミスではなく会社のミスだーーそこで、小林社長は半年かけて全支店を回って謝罪し、同時に現場での仕分け作業にまで従じた。そうして改めて「現場からひとりでも欠けたら大変な作業量になる。社員を大切に育てなければ」と心に決めたという。

マイホームを買った社員に30万円を支給するようになったのは今から5年前のことだ。

「マイホームの購入はこの土地と職場を離れないという意思表示です。そして、大きな借金をしますから仕事に対する責任も増える。だからオレは100万円をあげようと提案したんです。100万円なら住宅購入の頭金にもなるし。でも、他の幹部にそれは多すぎると反対されて…(笑)」(小林社長)

この制度で30万円をもらった社員のひとりに、本店で働く関口公平さん(29歳)がいる。

「3年前に結婚してすぐに家を建てたのですが、30万円は嬉しかったですね…。社長の心意気を感じました」

だが、そんな浜屋にももちろん課題はある。現場の仕分け作業は体力の要る仕事だけに、現場には若い社員が多い。平均年齢は36歳だ。

これからまた店舗も増えることが予想され、そうなると社員も増える。若い社員が数十年後に退職する時の退職金などを予想すると、より収益が見込める事業を始める必要があると小林社長は考えているのだ。とはいえ、そこに不安はない。

「会社が社員のために頑張るのは当然なんですから、心配するくらいなら、とにかくやれることをやる。悩む前に動け!です」

そこで、社員の関口さんの提案で天体望遠鏡なども買い取り対象になったのは前回に先述したが、浜屋ではここ数年、扱う商品の幅を広げ、家電の他に食器、ギターやアコーデオンなどの楽器、自転車やキックボード、釣り竿まで…再利用(リユース)できるものであれば買取るようになった。その品目数は約600点! 関口さんは「以前なら頭の中で品目を整理できましたが、600ともなるともう難しいですね」と苦笑いする。

また数年前からはリユース事業に加え、有用な金属を取り出せる携帯電話や銅線、真鍮(しんちゅう ※銅と亜鉛の合金)、アルミニウム、亜鉛、IC基盤などを回収するリサイクル事業も開始。さらには、飲食業にも手を伸ばしている。

JR新橋駅近くにあるビルの一室を所有した小林社長だが、そこでいつかは飲食業をやることを望んでいた。そして2012年9月、社員のひとりにイタリアンレストラン『三笠バル』のプロデュースを任せたところ、これがうまくいった。

口を出したのは、減農薬や無農薬の野菜、安全な手作りの飼料で育てた鶏の卵など「とにかく食材にこだわれ」という注文だけ。あとは自由にやらせていたそうだが、困ったのが三笠バルのシェフ、マネージャー、事業責任者が「2号店を展開したい。私たちのボーナスや残業代は要らないので、その分を開業資金に回してほしい」と本社に訴えてきたことだった。

小林社長は「おい、それじゃあ、うちはブラック企業になってしまうよ」と反対したが、スタッフたちはひとつの店で仕事を覚えて、やがてシェフとして独立するのが夢なのだから「それを優先させてほしい」と折れなかった。

確かに、ボーナスや残業代を払うのが会社の基本ではあるが、それでは店の維持が精いっぱいで、2号店の開店にはおぼつかない。話し合いの末、固定残業代(月のおおよその残業時間を想定し、実際の残業がそれより多くても少なくても常に一定させた残業代)を支払うことで妥協。15年1月には2号店となる「三笠バル・イルコーボ」がオープンした。

小林社長にもまだまだ夢がある。そのひとつが障がい者の就労支援だ。

15年6月、浜屋はNPO法人「はまや」の設立を支援し、埼玉県鶴ヶ島市に作業所を開設して障がい者福祉事業を開始した。事業内容は、使われなくなったパソコンや携帯電話を手作業で解体すること。現在、ここに35人ほどの障がい者(知的障がい、精神障がい、自閉症など)が従事しているが、小林社長が驚いたのはその中に健常者よりも集中力が高い人がいることだった。

「集中しすぎてこちらが止めないとずっと働き続けている。あれはすごい」

また、障がい者の直接雇用にも力を入れ、社内に5人の障害者を従事させている。

小林社長は彼らへのボーナス支給にもこだわった。「時給を上げてボーナスはなくてもいいのでは」との意見もあったが、「いや、それがやりがいにつながる。ボーナスは利益が出たら払うのだから、自分が会社に貢献しているという実感が湧く。それが彼らのモチベーションにもなる」と押し切ったという。

「小池百合子都知事がパソコンや携帯電話から取り出した金属で金メダルを作ると言っているけど、ウチはあんな一時的なものじゃない。これからもずっとやります。そして、全国の自治体にこの仕事を広げたい。それが私の夢です」

小林社長が貫くのは「常に喜んでくれる人の元で人は動く」との哲学だ。それは社員も買い子も障がい者も同じである。

“自分のために本気で喜んでくれる社長がそばにいる”――現場で働く社員がそう思えることは何よりの仕事のエネルギーになるということを、記者も長年にわたる取材を通して浜屋に教えてもらった。

きっと、小林社長は今日も現場を訪れて「誰か一緒にメシに行く?」と声をかけているはずだ。

(取材・文・撮影/樫田秀樹)