| 森田健司 大阪学院大学経済学部教授(専攻:社会思想史・日本哲学)
近年、花見を目当てに日本にやってくる外国人観光客が増えています。場所取りをして、持参した料理をつまみながら、ほろ酔い気分のにぎやかな宴は、すっかり日本の花見スタイルとして定着しています。
さて、上の画像は絵なのでしょうか? 写真なのでしょうか? これはじつは写真で、明治初期の庶民の花見の様子を写し取った「古(こ)写真」と呼ばれるものです。カラー写真とは少し違う、古写真は数多く残されていて、当時の庶民の生活や文化を知る貴重な手がかりとなっています。
古写真はどのような目的でつくられ、この花見の写真からは明治初期の庶民の暮らしの様子をどのように伝えているのでしょうか? 古写真を収集し、研究する大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。
写真はいつ頃日本にやってきたのか
「真実」を写すと書いて、写真。その言葉通り、写真はレンズの前に広がる現実を、歪めることなく記録する。もちろん、写真も加工をすることはできる。しかし、どうしても強い主観が入ってしまう絵画や文章に比べると、その正確さは圧倒的である。だから、過去の「真実」を探る際、写真は極めて優秀な史料となってきた。
ただし、写真に関する問題は、誕生からそれほど長い時間が流れていないことにある。世界的に見ても、最も古い写真は1826(文政9)年であり、これはフランスの化学者ニエプス(1765ー1833)が窓の外の景色を不鮮明に写したものだった。その後、英国ではカロタイプ、フランスではダゲレオタイプ(銀板写真)が発明される。後者によって写真は実用性を獲得するが、これは1839(天保10)年のことだった。
この画期的な発明である写真は、いつ頃日本にもたらされたのだろうか。写真を撮る機材、つまりカメラが初めて日本にやってきたのは、1848(嘉永元)年のことである。長崎の商人・上野俊之丞(1790-1851)が、オランダ船からダゲレオタイプ一式を入手したとの記録が残っている。しかし、当時の写真撮影は、高度な化学の知識を必要とするものであり、実際に日本人がカメラを操作して写真を撮ることに成功したのは、1858(安政4)年になってのことだった。このとき写真に収まったのは、かの薩摩藩主・島津斉彬(1809-1858)である。
つまり、写真で眺めることのできる日本は、19世紀後半以降ということになる。今から、160年ほど前から、ということである。長い日本史の中に置けば、実にわずかな期間だ。しかし、日本が歴史上、最も急激に変化した期間でもある。
本連載は、今に残された貴重な古写真を紹介しながら、かつての「庶民の生活や文化」を眺めていこうとするものである。
ところで、写真が庶民にまで広まるのは、明治の世に入ってからのことだった。だから、本連載で紹介する写真のほとんどは、明治時代に撮られたものである。主に120~150年前のものということになるだろう。160年前よりさらに近い時代だが、そこに写った日本は、ときに異国であるかのように見えることがある。