そのヒットは、ちょっとした奇跡だ。
フィルムアート社から発売中の「場面設定類語辞典」がヒットし、売り切れる書店が続出している。
物語を作るのに役立つ「場面設定」を紹介する辞典は、例えば「核シェルター」であれば、見えるものは「地下に降りるはしご」「波型の地味な金属壁」、聴こえるものは「反響した耳障りな声」、匂いは「籠った空気」など、その場面で五感に訴える要素を徹底解説している。
もともと脚本家など物語の創作者向けに作られ、値段は3000円(税抜)。
けして安くなく、かつニッチな辞典だが、5月11日には又吉直樹の第2作「劇場」、話題の「うんこ漢字ドリル」を抑え、Amazonの本全体でもランキング1位に輝いた。
きっかけは、5月10日のTwitterの投稿だった。
「場面設定類語辞典」の購入者が本の良さを語ったツイートが一気に広まり、現在までに6万RT、10万いいねとバズった。
ツイートの出る前日まではAmazonランキング300位だったが、ツイート後の朝には28位まで一気にランクアップ。その日のうちに1位まで駆け上った。
BuzzFeed Newsの取材に、フィルムアート社の薮崎今日子編集長は「ここまで売れたことはなく、ちょっとした衝撃でした。拡散力に驚きました」と語る。
ニッチな辞書だからこその拡散
同社は脚本家などクリエイター向けの本を出版しており、今回ヒットした「場面設定類語辞典」は「感情類語辞典」「性格類語辞典」に続く、創作者向けの辞典シリーズの3弾にあたる。
「もとはカナダの作家が自費出版で出したもので、海外でも売れていました。漫画編集者の友達によると、漫画家さんの卵とか資料を集めてすごく勉強するそうで、そうした方にも売れるよねと言われていました」(薮崎さん)
2年前に出版された「感情類語辞典」は現在まで9刷とロングセラー商品。想定した“辞書クラスタ”で話題となったことに加え、同人誌など二次創作の制作者などにも拡散された。
その第1弾を超える「場面設定類語辞典」のヒット。ネットで拡散したことで、想定外の層に届いたことが大きかった。
「今回はテーブルトークRPGを楽しむ人が使えるとつぶやいていたり、ゲーム方面の方も購入してくれました。そういった層は発売前に、全然想像していなかった。読み手の方が使い方を新しく発見してくれた形です」(薮崎さん)
扱う場面は、キャンプ場、学校といった場所から、埋め立てゴミ処理場、核シェルター、ツンドラ、屠殺場、トレーラーハウスと珍しいものまで全225種類。
辞書の編集を担当した田中竜輔さんは「ぎょっとするものをネット民の方が面白がってくれた」と話す。
海外版では「都市編」「郊外編」と2冊だった辞書を、版元と掛け合い、使いやすい1冊にまとめた。ヒットはこうした編集の努力が実った結果でもある。
書店からも「近年まれに見る売り上げ」
営業を担当する千葉英樹さんによれば、第1弾の「感情類語辞典」の際、新聞広告を出したものの、あまり効果がなかった。
このため、今回の「場面設定類語辞典」では大きな宣伝を打たなかったが、SNSの拡散により、第1弾を超えるヒット作となった。
ネットでの人気沸騰により、Amazonの在庫が切れたこともあり、大型書店には買いたい人が集まり、辞書が売り切れる店も出た。
千葉さんのもとには、書店員から「この本の売れ方は近年まれにみる」「この売れ方はある種、異常事態」など驚きと喜びの声が届いたという。
千葉さんは自省もこめて、こう話す。
「届けば買いたいという人に、いかに届いていなかったか。うちは創作者を目指した人に向けた本が多く、ある程度客層は見えていると考えていた。今回のことで、こういう本を読みたい人は、われわれが想像するよりずっといると気付かされた」
薮崎さんは、辞典のテーマが「場面設定」とかなりニッチであることを、出版前には心配していた。
「でも、ふたを開けてみると『刑務所の中』という、よりニッチなところに食いついてくれて、読者をなめちゃいかんなと感じました。一般性を持たせるより、ニッチな方が起爆剤となった。読者を信じればついてきてくれる。本を作る姿勢でも得るものがありました」
辞典の異例のヒットは利益だけでなく、希望をももたらした。